「報復」について考えた
『あの人は悪いことをしたのだから、罰を受けて当然』
『あの人は自分に嫌なことをしたのだから、失礼なこと、ひどいことをしてもいい』
この考え方に対して、考える機会があったので考えた。
これを言語化していないにしても、この考えに沿った行動をしている人は多いはずだ。
かくいう私も、これに即した行動をしていた。
この事実を自覚して、受け入れるだけでも時間が掛かったが、そうだった。
そして、私が「相手のことをおもいやることのできて、自己犠牲してまで相手のためになることをしている」と思っていた人でさえ、この考えに沿った行動をしていた。
おそらく、人間の本能にプログラムされている反応なのかもしれない。
それでも、この考えについて少し考えたいと思うような出来事があった。(1つではなくて、いろいろな出来事があった)
相手がそういう考えでいるのは仕方がない。
そこではなくて、自分がこの考えでいることに対して考えた。
自分が他人からネガティブなことをされたから、それをやりかえすって、単純すぎて醜いと感じた。
時間の無駄だとも。
それが人間だ、それを受け入れなければ、っていう考えも自分の中にあるけど、だけど、それでも考えたくなった。
(こういうこと考える人間はめんどくさいということも理解してる。それでもって。)
僕はある人にいろいろされた。(ざっくりすぎてすいません)
だけど、僕もその人に対していろいろした。
その「いろいろ」の中に含まれる行動1つ1つに客観的で絶対的な点数がついているのなら、どちらが正義で、どちらが悪なのかっていうのがはっきりするのかもしれない。
だけど現実は、行動に絶対的な点数なんてついてない。
絶対的な評価なんてついてない。
相対的な評価、時代的文脈に依存している評価は存在しているけれど。
だからこそ、考えようと思った。
僕は確かに相手を傷つけることをした。
そして、相手もその行為に対して僕を傷つけることを(陰湿な形で)した。
それに対して、僕は耐えた。無言で。
それからほぼ1年後。
突然、相手から謝罪の連絡がきた。
そして、友達としてつきあえたら嬉しいとも。
一方的に。
かなり戸惑った。
どうしたらいいのか分からなくなった。
いろいろな感情が渦巻いた。
「驚き」「喜び」「疑い」「自責」
長い時間をかけて整理してきた気持ちが一気に崩れかけた。
乱れた。混乱した。
連絡にある返信をして、相手に気を遣うつもりで「※返信不要」と打って送った。
こっちが考えすぎてるだけかもしれない。
おそらくそうなのだろう。
本当にいろいろ考えた。
相手は計算して、僕との関係を(形だけ)修復しようとしているのではないか
もしそうだったら、騙されてる。
やられるなら、やり返してやる。
そう思った。
ってか、そう思うのが正常で生きていく上で大切な事なのかも知れない。
もっと冷静に考えると答えは出るのかも知れない。
答えを出したつもりだったが、答えでてないな。
とりあえず、明日は山に登ることにした。