電車の窓に映る自分の顔が嫌いな人へ
みなさんは通学、通勤に電車を使うのだろうか。
おそらく多くの人が電車を使っているだろう。
私も高校時代から電車通いをした人間だ。
他の人がどうかは分からないが、私は「電車の窓に映る自分の顔」が嫌いだ。
とても老けてみるし、疲れたような顔をしているし、いつもより顔がでかく見える。
このことには中学時代のイベントで集団で電車移動をしたことがあり、イベントの帰りの電車の中で、車窓に映った自分を見てから気づいたことだ。
「え、こんな顔(頭)でかかったっけ?」
「自分、人と話しているときこんな顔してしゃべってるんだ」
自分の頭の中にあるイメージとかけ離れた顔、予想以上の顔(頭)のでかさ、予想外のふけ顔(単純に疲れているというのもあるが)にショックを受けた。
その証拠に、10年近く経つ今でも覚えている。
その時に友人と話した内容よりも鮮明に覚えている。
これを私は「 identity crisis by car window」と名付ける。(略してICCW)
(直訳すると「車窓によるアイデンティティクライシス」だが、他に良いネーミングあれば是非提案してください・・・)
私はICCWにより、高校、大学の電車通学を常に不安と不快感と不満感と劣等感で過ごした。
周りに不快感を与えるような、周りの人間を警戒させるような(勝手にそう思ってる)顔をしているのだと感じていた。
ただ、今は以前よりメンタルが強くなったというか、慣れたのであまりメンタルに大きな動揺を与えることはなくなった。(成長したと思う)
今でも多少気になる(自分の車窓に映る顔があまり好きくない。時々マシになる。)。
ここまで読むと「デメリットしかないじゃん」って思う方が多いと思うが、果たして本当にそれだけだろうか。視野が狭くなっていないだろうか。
確かに「車窓に映る自分の顔が嫌い」という事実は変わらない(整形したり、何かしらすれば変わるかもね)が、そこから自分が何を考えるか、その事実にどんな解釈を与えるか、どんな行動につなげるか、は人それぞれだ。(もしくは全く気にしないでスルーっていうのもありだと思う。)
例えば。
〈考え方〉
・車窓に映る自分の顔をどうにかしようとしたってしょうがない。それよりも、他の窓や鏡に映る顔自体はそこまで嫌いじゃないのだから、これは車窓の写りが悪いのだ。
・車窓に映る顔がこんな感じの時は、こういう食事をした、睡眠時間がああだった、さっきまでこんなことを考えていた、と言う風に分析をしていって、なぜそのような顔(表情)になるのかを解明していく。その結果が他の場所で役立つかも知れないし、分析する能力も上がるかもしれない。(「転んでもただじゃ起きない」って言葉を頭のなかで言うと、少し自分が逆境に強くなっている気になれる)
(ちなみに。時々この話(車窓に映る自分の顔が嫌いということ)を友人や先輩に話すのだが、意外と共感されたりされなかったりで、人それぞれなのだという(小粒な)感想を抱いている。)
この経験から学んだことを以下に箇条書きで記録する。
・どんなことも慣れる(良くも悪くも)
・ある環境下で耐えつつ何かを頑張った場合(耐え続けるだけでも)、そのストレスがないところに行ったときに(相対的に)大きなエネルギーを発揮することができる
・どんな状況もそこから何かを学び取ることはできる。気づきを得ることができる
・どんな情報も使い方次第。自分について多く知っている方が戦略をたてやすい