~経済に素人の大学生と一緒に勉強していこう~ 「資本主義社会とは?」vol.1
資本主義経済の国に生きる人間は、生きていくためにお金が必要不可欠だ(こう言うと、お金がなくても生きていける方法を探したくなるのが僕ですが、今回は「お金が必要だ」ということを前提に話を進めていきます)。
そもそも「資本」とは何か。
『生産活動のために投下された資金のこと。通常は、この資金で生産に必要な機械や原材料を購入し、労働者を雇って生産・販売を行い、投下した資金以上の額を回収しようとする。経済学上は大きく2つの意味がある。1つは個人にとって所得を得るための手段である資産の蓄積を意味する。もう1つは、社会にとって生産を行うための要件である実物(生産物や土地、天然資源など)の蓄積を意味する。』
(「改訂版 政治・経済用語集 政治・経済教育研究会編 山川出版社」より引用)
とある。これだけだとイメージしづらいと思うので、「資本主義経済」についてもみていく。
『誰でも自由に商品を生産し、販売し、消費することが許される経済。私有財産制(生産手段の私有)、商品経済、価格を中心に営まれる市場経済、自由競争、自由放任の経済政策、利潤追求の自由などの原理で動いている。イギリスにおいて産業革命を経て確立、その後多くの国に広まった。資本主義国の経済体制。』
(「改訂版 政治・経済用語集 政治・経済教育研究会編 山川出版社」より引用)
おっと。いろいろつっこみどころというか、気になった点があるぞ・・・
まず定義文の1行目。
誰でも自由に商品を生産し、販売し、消費することが許される経済。
確かにこの通りなんだけど、改めて明文化されたものをみると考えさせられる。
「誰でも自由に」ってところ。そう。誰でも自由に商品を生産することができるし、販売することもできるし、消費(これは分かる)することが許されてるんだよ。
基本的に誰かの許可を得なくても自由に商品を生産できるし、販売もできるんだよ。
(でも、実際は場所代とか、法律とかでなんやかんや規制かかってるし、お金もとられるけどね。更に言えば、誰が何を生産してもいいけど、失敗も自己責任だからね)
資本主義社会において生き残るためには、資本主義社会を採用している国のルール(明文化されていないものも含む)を理解しなきゃいけないってことが分かると思うし、あくまでも定義であって、この言葉を経済学やら、社会について無知な人間の物差しで理解すると痛い目を見ることになると思う。
言われたことをそのまま鵜呑みにすることは、けっこう自殺行為なんじゃないかと思い始めた。
それと、頭を使わないで日々を生きること自体も自殺行為かと・・・
大学生で春休みだからと言って遊んでばかりいると死ぬ可能性高い。
時間は有効に使わないと。
ごめんなさい。途中からタイトルと違う内容になってきたけど、要するにそういうことです。「時間は有効に使う」こと。
まずは、これを徹底しましょう。
みんながしなくても僕はしていきます。
それでは、また。
僕がブログを書く理由
僕がブログを書く理由を記録していく。
ブログを書く理由を書く理由は、ブログを書く目的意識を明確にするため。明確にすることで、ブログを書くモチベーションがあがあるから。なぜモチベーションを上げたいかというと、ブログを書きたいから。なぜブログを書きたいかというと・・・
・自分の考えをアウトプットする練習になるから
・自分の考えを整理できるから
・自分の頭の中にある物を視覚化することで、気づきを得るため
・ブログに記録しておくことで、僕と同じ事で苦しんでいる人が、同じ事で必要以上に苦しまずに、他のことにエネルギーを使えるようになって欲しいと言う願いがあるから
・僕が相手に「与える」ことができるものがあるとしたら、それはなんだろう、と考えたときに思いついたのが、自分の経験を無料で多くの人に自由に読んでもらうという方法だったから
・大きなことを言えば、人類の進化に貢献するため。同じ過ちを繰り返して欲しくないから。そして、自分への戒めもこめて。
・自分の思考の傾向に気づくため(メタ認知能力を高めるため)
※メタ認知能力とは、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力のことを指します。 つまり、自分の中のもう一人の自分が、自分の行動や思考を対象として客観的に把握して、自分のことを監視・コントロールする力といえます。
電車の窓に映る自分の顔が嫌いな人へ
みなさんは通学、通勤に電車を使うのだろうか。
おそらく多くの人が電車を使っているだろう。
私も高校時代から電車通いをした人間だ。
他の人がどうかは分からないが、私は「電車の窓に映る自分の顔」が嫌いだ。
とても老けてみるし、疲れたような顔をしているし、いつもより顔がでかく見える。
このことには中学時代のイベントで集団で電車移動をしたことがあり、イベントの帰りの電車の中で、車窓に映った自分を見てから気づいたことだ。
「え、こんな顔(頭)でかかったっけ?」
「自分、人と話しているときこんな顔してしゃべってるんだ」
自分の頭の中にあるイメージとかけ離れた顔、予想以上の顔(頭)のでかさ、予想外のふけ顔(単純に疲れているというのもあるが)にショックを受けた。
その証拠に、10年近く経つ今でも覚えている。
その時に友人と話した内容よりも鮮明に覚えている。
これを私は「 identity crisis by car window」と名付ける。(略してICCW)
(直訳すると「車窓によるアイデンティティクライシス」だが、他に良いネーミングあれば是非提案してください・・・)
私はICCWにより、高校、大学の電車通学を常に不安と不快感と不満感と劣等感で過ごした。
周りに不快感を与えるような、周りの人間を警戒させるような(勝手にそう思ってる)顔をしているのだと感じていた。
ただ、今は以前よりメンタルが強くなったというか、慣れたのであまりメンタルに大きな動揺を与えることはなくなった。(成長したと思う)
今でも多少気になる(自分の車窓に映る顔があまり好きくない。時々マシになる。)。
ここまで読むと「デメリットしかないじゃん」って思う方が多いと思うが、果たして本当にそれだけだろうか。視野が狭くなっていないだろうか。
確かに「車窓に映る自分の顔が嫌い」という事実は変わらない(整形したり、何かしらすれば変わるかもね)が、そこから自分が何を考えるか、その事実にどんな解釈を与えるか、どんな行動につなげるか、は人それぞれだ。(もしくは全く気にしないでスルーっていうのもありだと思う。)
例えば。
〈考え方〉
・車窓に映る自分の顔をどうにかしようとしたってしょうがない。それよりも、他の窓や鏡に映る顔自体はそこまで嫌いじゃないのだから、これは車窓の写りが悪いのだ。
・車窓に映る顔がこんな感じの時は、こういう食事をした、睡眠時間がああだった、さっきまでこんなことを考えていた、と言う風に分析をしていって、なぜそのような顔(表情)になるのかを解明していく。その結果が他の場所で役立つかも知れないし、分析する能力も上がるかもしれない。(「転んでもただじゃ起きない」って言葉を頭のなかで言うと、少し自分が逆境に強くなっている気になれる)
(ちなみに。時々この話(車窓に映る自分の顔が嫌いということ)を友人や先輩に話すのだが、意外と共感されたりされなかったりで、人それぞれなのだという(小粒な)感想を抱いている。)
この経験から学んだことを以下に箇条書きで記録する。
・どんなことも慣れる(良くも悪くも)
・ある環境下で耐えつつ何かを頑張った場合(耐え続けるだけでも)、そのストレスがないところに行ったときに(相対的に)大きなエネルギーを発揮することができる
・どんな状況もそこから何かを学び取ることはできる。気づきを得ることができる
・どんな情報も使い方次第。自分について多く知っている方が戦略をたてやすい
僕が今まで生きてきて学んだ「世の中のルール(のようなもの)」
僕が20数年生きてきて学んだ,世の中のルールのようなものを記録していく。
・どの世界にも上下関係が存在し,勝ち組,負け組みが存在する。勝ち組は優越感を抱き,負け組みは劣等感を抱く。
・優位な立場にいても,そこで調子に乗りすぎると一気に一番下まで堕ちる
・世の中には自分1人の努力ではどうしようもないことが存在する
・どんなに信頼している人間でも,いつか裏切る
・人の足を引っ張る人間は必ずいる
・圧倒的な力を持った人間は,下にいる人間をまともに相手にはしない
・何かトラブルがあると,その原因はたいていお互い様
・他人には合理的な判断をアドバイスできるが,自分のことになると合理的な判断が難しくなる
・目的がはっきりしていると,ゴールは存在するが,目的がはっきりしていないと迷子になる
・本ばかり読んでいても,実践しないと自分の力にはならない
・人の感情は変わる
・油断していると,すぐに足元をすくわれる
・頑張りすぎるとどこかでパンクする(それ以上頑張れなくなり,何もする気が無くなる)
・視野が狭くなっていると,見えていないところから危険が迫っていることが多々ある
・諦めなければ可能性はあるが,諦めいということは,他の可能性を捨てるということ
・何かにYESということは,それ以外のものにNOということ
・上には上がいるし,下には下がいる
・ものは考えよう。ある出来事はいろいろな捉え方ができる。起こった事実は変わらないが,解釈は変えることができる
僕が今まで生きてきて学んだ「世の中のルール(のようなもの)」
僕が20数年生きてきて学んだ,世の中のルールのようなものを記録していく。
・どの世界にも上下関係が存在し,勝ち組,負け組みが存在する。勝ち組は優越感を抱き,負け組みは劣等感を抱く。
・優位な立場にいても,そこで調子に乗りすぎると一気に一番下まで堕ちる
・世の中には自分1人の努力ではどうしようもないことが存在する
・どんなに信頼している人間でも,いつか裏切る
・人の足を引っ張る人間は必ずいる
・圧倒的な力を持った人間は,下にいる人間をまともに相手にはしない
・何かトラブルがあると,その原因はたいていお互い様
・他人には合理的な判断をアドバイスできるが,自分のことになると合理的な判断が難しくなる
・目的がはっきりしていると,ゴールは存在するが,目的がはっきりしていないと迷子になる
・本ばかり読んでいても,実践しないと自分の力にはならない
・人の感情は変わる
・油断していると,すぐに足元をすくわれる
・頑張りすぎるとどこかでパンクする(それ以上頑張れなくなり,何もする気が無くなる)
・視野が狭くなっていると,見えていないところから危険が迫っていることが多々ある
・諦めなければ可能性はあるが,諦めいということは,他の可能性を捨てるということ
・何かにYESということは,それ以外のものにNOということ
・上には上がいるし,下には下がいる
・ものは考えよう。ある出来事はいろいろな捉え方ができる。起こった事実は変わらないが,解釈は変えることができる
物事をいろいろな視点から観る
大学に入ってから、様々な視点から物事を観れるようにしようと心がけていた。
きっかけは、いくつかあったと思うんだけど、今思いつく範囲で以下に箇条書きで記録する。
・自分が病んだきっかけは,物事を狭い視野から判断していたからだと思っていたから
・視野が狭いままで生きているって損だなって思ったから
・魅力を身につけたいと思ったから
・変化したかったから
みたいな感じだと思う。
「視野を広げる」っていう意識があると、行動性が増す気がする。
何かを行動するときの動機として「視野を広げるために」っていうのがあると、その行動を正当化しやすい。正当化というか、その行動に意義、価値を付与ことができる。
そうすると、その行動をしている自分を肯定できるし、行動することでさらに次の行動に移したくなるし、行動している(できている)自分に少し自身を持てる。
万人にこの方法が当てはまるとは思わないけど、何もしないよりはやってみる価値はあるんじゃないだろうか。どうだろうか。
久しぶりの家庭教師
あるお宅に(不登校専門の)家庭教師として指導に行っている。
僕や指導先のご家庭の都合でなかなか日程が合わず,今日はかなり久しぶりの指導だった(17日ぶり)。
前回会った時より元気に(精神的に前向きに)なっていて安心した。
まだ低学年なので,難しい言葉は理解できないが,感覚的なものは頭より身体が先に理解できるのだろう。
低学年ながら僕に対して,気を遣っている感じを受ける(そのように感じる自分がいる,ということでもあるのだろう。それはつまり,自分自身の指導内容,方法に自分が納得できていない部分があるということでもあるのかもしれない)。
生徒がもっと授業を楽しむためには何ができるだろうか。
1週間に1度の90分という限られた時間で,生徒にエネルギーを与えられたらと思う。
思うだけじゃ何も変わらないから,具体的に,「生徒に前向きな影響を与えるようにするために何をするか,自分には何ができるか」を考えよう。今。
試行錯誤していくことでしか解はみつからない。
行動の伴わない思考は実らない。
………
ここまで書いた文章を読み返した。
なんとなく受けた印象が,最近流行り(?)の「意識高い系」の文章。
「自分はこれからこうしていく!」
「自分はこれだけ意義のあることをしている!」
「自分はこれだけ物事を深く(実際不快かどうかはともかく)考えている!」
っていうことの自己アピールみたいな文章。
これを他者が(もしくは未来の自分が)読んだ時に,どれだけ読んだ人間の役に立つだろうか。
マインド,心構え的な面では多少は役に立つ可能性はあるが,「じゃあ,実際にどうしたの?どうすればいいの?」っていう,「こういう狙いで,こういう行動をした。結果的にこうなった。」っていうのがないから,役に立たないんじゃないか?(行動と結果を記録しても,それが必ずしも役に立つわけではないが)
……
何を書くのか,どういう視点から書くのか,ある程度テーマを「絞って」書かないと何が言いたいのか分からない文章になる。
どの方向に話を持っていきたいのか先が見えない。
小説だったらこういう書き方でもいいのかもしれないけど,それは自分の中に軸がある前提で進む話だろう…(これは思い込みかもしれない。こうあるべきだろうっていう)。
1回自由に書いてみるか。
最後まで書ききったら(最後がどこになるかは分からない),何か見えてくるかもしれないし。
とりあえずこの記事はここまでで。